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山の辺書房 自分史書き方ガイド7回 チラシ2面

連載第七回
名作を読んでみよう
大正14年7月12日新潮社発行「夜の光」志賀直哉著より抜粋

「好人物の夫婦」
『深い秋の静かな晩だった。沼の上を雁が啼いて通る。細君は食臺の上の洋燈を端の方に惹き寄せて其下で針仕事をして居る。良人は其傍に長々と仰向けに寝ころんでぼんやりと天井を眺めて居た。二人は永い間黙って居た。
「もう何時?」と細君が下を向いたまゝ云った。時計は細君の頭の上の柱に懸かってゐる。
「十二時十五分前だ」
「お寝みに致しませうか」細君は矢張り下を向いた儘云った。
「もう少しして」と良人が答へた。
 二人は又少時黙った。
  細君は良人が餘りに静かなので漸く顔を挙げた。而して縫った絲をこきながら
「一體何して居らっしゃるの? そんな大きな目をして……」と云った。
「考へて居るんだ」
「お考へ事なの?」
  又二人は黙った。細君は仕事が或る切りまで来ると、絲を断り、針を針差しに差して仕事を片付け始めた。
「オイ俺は旅行するょ」
「何いって居らっしゃるの? 考へ事だなんて今迄そんな事を考へて居らしたの」
「左うさ」
「幾日位行って居らっしゃるの?」  
「半月と一ト月の間だ」
「そんなに永く?」
「うん。上方から九州、それから朝鮮の金剛山あたり迄行くかも知れない」
「そんなに永いのいや」
「いやだって仕方がない」
「旅行おしんなってもいゝんだけど、……いやな事をおしんなっちゃあいやよ」
「そりゃあ請合はない」
「そんならいや。旅行だけならいゝんですけど、自家で淋しい気をしながらお待ちして居るのに貴方が何所かで今頃そんな……」かう云ひかけて細君は急に「もう、いやいや」と烈しく其言葉をはふり出して了った。
「馬鹿」良人は意地悪な眼つきをして細君を見た。細君も少しうらめしそうな眼つきでそれを見返した。……』


――これが、文章の神様といわれる所以である。


※解説してみましょう。
●場景描写、時間、その他、改めて説明は無いが夫婦の会話のなかに全てのものをそっと含ませ、読んでもらうための諸条件を満たしている。物語の構成系列がしっかり出来ていれば、第一シーン、第二シーンと目を遷すとき「あぁ そうか……、成程…」と無意識のうちに自分流のイメージを膨らませているのである。
●そして、「次はどうなるんだろう?」と頁をめくり行を追う。ここまで行けばもうしめたもの。物語の森に呼び込み成功ということになる。著者は、紙芝居よろしく、「文章描画法」の手法でシーン展開をやればよい。ただし、ここに重要なポイントがある。これを外すと効果半減だ。それは、自伝であるがために真実を吐き出さねばならないという点だ。
「俺は、こんな凄い体験をした。けどょー、世間体もあるしなぁ、真っ正直には書けるものか」という人が多い。
●せっかく本にするのだから立派にしたい。格好良くデフォルメ(改変)してもいいだろう。という気持ちになってしまいがちだ。これが、自伝をつくる上での最大の関所なのだ。弁慶じゃないが、勧進帳を読み違えるとせっかくの素晴らしい計画も水の泡になりかねない。
●フィクションを専門とするプロの作家なら、ここのところはうまく創作し、読者や観客の心をつかむだろう。しかし、素人はそうはいかない。いくら恰好よくみせようとしてもボロがでる。中身に真実がないからだ。目立つのは自慢話。
●これまでの経験では、およそ七割がこの傾向ありだ。これでは読み手はウンザリして、遂には本を投げ出してしまう。十分心得なければならない。 わたしは、所属する日本自費出版ネットワークが行う「自費出版文化賞」の小説部門選考委員を務めたことがある。三十編余審査したが、やはりこの傾向がみられた。そんななか、ただ一編、素晴らしい短編作品があった。或有名な劇団リーダーとの青春時代の出会いを綴ったもので、詩的で素直で、文章に気取ったところもなく、作者の心の奥から湧き出る感情をそのまま文字に託した如く感じられた。ちなみにこの作者はご高齢のご婦人だった。にもかかわらず、若人のような瑞々しさをも感じた。それで、審査通過ということにした。結果は残念ながら賞には届かなかったが、見事最終選考まで残った。
●このように、自伝を執筆する場合、気負い、エエ恰好、素人がよくやってしまう難しい漢字を使った難解な文章表現は百パーセント避けるべきだ。
つづく


★前回チラシ二面

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