自分史、電子書籍、素人さんへの警告チラシ

自分史書き方何でも相談と電子書籍出版及び警告チラシ

山の辺書房 自分史書き方ガイド 13回目

連載第13回 
暴走機関車


●私は、開業以来数百本の原稿を読み、意見を言ってきた。なかには著者と喧嘩したこともあった。私の書き方指導に不満を持つクライアントも少なからず居た。その方々はご自身の文章に少なからず自信をもっていた。これは結構なことだが、読者への配慮が欠けている。自伝は文字通り〝自分のことを書く〟作業である。それで書く内容は万事細部まで分かっているから一気呵成に書きまくる。これは素晴らしいことなのだが、勢いがつきすぎて暴走機関車となることが多い。停まるべき駅をどんどん通過してしまっている。終着駅までノンストップだ。


●終点で〝完〟と書いたとき大満足。得意げに膨大な枚数の原稿を持ち込んでくる。当人は達成感バリバリだ。なかには四百字原稿1000枚余の大作を風呂敷に包んで私の前にデンと置いて、これを本にしてくれという御仁も居た。後日ご連絡します。とお原稿を受け取る。正直言って他の出版社であれは大喜びする代物。つまりは〝金になる〟ケースだ。二つ返事で引き受けるだろう。

●仕事の合間にそのお原稿を拝読した。何と言うことでしょう――よくここまで書いたものだと驚く。ところが、主語が無い・述語が句読点の(、)連続でどこまでも続いている。まさに暴走だ。内容はなんとなく分かるが、どうも〝嗚呼そうなのか〟と得心できない。また、ご自身だけが事の成り行きを熟知しているので分かっているのだが私は第三者でクライアントさまのことは全く知識が無い。書き方ガイド(前述)のキャッチボールが出来てない。――果たしてこれで、情報ゼロの読者が読み進めてくれるだろうか? おそらく……折角買った本ではあるが、数ペーシ読んで放り出すに違いない。原稿内容は数奇な人生を語っているので合格なのだか、著者に対して予備知識皆無の読者は混乱するだろう。――これは残念なことだ! 

●後日クライアントさまに連絡した。わたしの前に立った彼は〝ドヤ顔〟をしている。「素晴らしいですね」という私の言葉を待っているようだった。
「長いですね」と私の第一声。それはもう大変な人生でしたからね、と口には出さないが表情で示している。次の言葉を待っているようだ。
「これは草稿で、校了原稿にはなりませんね」と私。――クライアントさまの表情が変わった。きっと予期せぬ私の台詞だったらしい。
「あなたの人生のおおよそのことは分かりました。――でも、自分史にするには長過ぎます……まず、この原稿枚数を三分の一にしましょう」と私。すると、クライアントさまのお顔が真っ赤に変化。余程びっくりなさったのだろう。しばらく無言。
「あなたのお原稿はまさに暴走列車です。中身は素晴らしいのですから適当に停車駅を入れてくれませんか。そうすることにより重複した事象が整理され、結果的には原稿枚数減、同時に第三者も理解が深まりますよ」――こんなやりとりも少なからずあった。


●出版費用が潤沢なら、私が現地取材・聞き取り取材して請け負ってもいいのだが、できるだけ安価に仕上げようとする場合は、申し訳ないのだがもう一度お原稿の書き直ししていただく。その他、諸々の実例などをコピーし、参考にしてくださいと言って再挑戦をお願いした。――結果、私の編集室での出版は見送られた。


つづく
※次期中編小説執筆中のため、連載が遅れてしまい申し訳ありません。ご寛恕の程を。

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ど根性: 昭和繁盛記 (実話物語)
ど根性: 昭和繁盛記 (実話物語)
山の辺書房
2019-01-19
Kindle本

この本の概要
昭和十三年正月元旦、世界遺産の地和歌山県田辺市本宮町に生まれた主人公の凄絶極まる半生を克明な取材をもとに児童図書として書き綴った自分史。
敗戦目前の時代背景もさることながら特に貧しい環境下に生まれた主人公。
村内で事が起こると一番先に噂されるほどの赤貧一家だった。そんな或日、母の警察沙汰が起こる。真犯人は流れ者乞食だったが仮留置騒ぎとなる。これを機に殆ど村八分状態。同時に子供たちにも悪影響が出て無視などのいじめが始まる。当然、登校拒否も屡々。
 主人公が六年生の時、父親が怪我。あてにしていた中学入学準備が頓挫した。
 親を助けたい一途な気持ちと、中学入学を控えた自分の為にも「何とかして稼がねば…」そこで小学六年生の挑戦が始まる。それは、現在では考えもつかない真夜中の土木仕事だった。主人公は果敢に挑戦した。結果中学入学を果たす。その後、中学でもそれは続いた。表向きは家計を助ける為。然し本心は孤独の寂しさ克服だった。
 中学生が真夜中の土方仕事。――夜通し砂利運びした朝、母が運んでくれた朝飯の茶粥を始業時間を気にしながら夢中でかきこんだ音無川河原。そんな中、暗く寂しい孤独の谷間で主人公に訪れた運命の扉。
 人生上を見れば際限ないが、どん底世界ではそれより下の世界は存在しない。
 主人公は、全ての希望を失って丸裸になった時、少しずつ光が差し始めた。この心境を現代人、特にいじめ等で苦しんでいる若者たちが会得すれば少なくとも我が身の人生を閉ざすなどということは起こらないはず。その意味で本書は青少年必読と言える。
 第二部では主人公の大阪暮らしが始まる。あいりん地区で立ちん坊体験。高度成長期まっただ中の大阪情景が懐かしい。
 時代が変わりAI全盛の現在社会。これは諸刃の剣、使い方を間違えるととんでもないことになる。つまり人間脳の衰退だ。こんなとき、忘れかけていた人間原点回帰が必須。本書は読者に何か大切なものを語りかけてくれるかもしれない。


『ど根性 昭和繁盛記 』書評・感想 
※出所は編集室管理


○団体役員
児童図書「ど根性」発表記事を新聞で見て直ぐ買って知人にも送り紹介しています。
極貧のどん底の生活から耐え忍び苦闘して立ち上がった根性は【金次郎、おしん】そっくりで、涙と力強さをもって読ませていただきました。万人必読の書。心から頭がさがりました。


○本宮大社 前、宮司 
「何気なしに足元の土をつかんだ。ひと握りの土は、ほんのりと温かい。その温もりは手のひらから腕に、胸にしみこむ。おさむ少年は、生まれて初めて確かな手ごたえを感じた。よし、土で成功したる! 
このとき、しっかりと心に誓った」
右の文は、「ど根性」……運命の扉の一節である。


○新聞社 前、編集長 
想像を絶するような苦労を淡々と乗り越えてきた中岸さんの鋼鐵のような強い意志と精神力に感動をおぼえた。
母に心配させたくない、悲しませたくないと、がむしゃらに頑張り抜く中岸少年の姿が今も瞼に焼き付いて離れようとしない。
少年少女諸君がこの本に接するとき、今、自分たちが忘れかけている『何か』を思い出し、同時に、さらに大きな夢と希望を抱いてくれるであろうことを確信する。
○一読者から
午後から仕事を休み、一気に読み終えました。夜はすでに一時過ぎになり、床のなかに入り眠らねばと焦りはしたものの、深夜の河原に、言語を絶する過酷な労働に骨身を削るひとりの小学六年生が脳裏をかけ巡り、とうとう朝まで一睡もできなかった。
あまりにも凄まじい苦難の実話でした。
激動の昭和に、しかも我が郷土に、明治、大正期に見る立志伝中の人物が実在したとは……。
この本こそ、一般人はもとより青少年必読の書といわずして何といえよう。


○医学博士 
地を這うような、どん底の人生から立上がる凄絶さ。誠に目を見張るような人生だと思います。
一気に読みおえた私は、目を閉じた儘、暫く放心状態でした。やがて、万感交々去来するものがありました。
今更のように、中岸さんの人間の深みを感じました。
誰にでも真似る事が出来るものではありませんが、せめて心の糧にしたいものだと思います。


○大学の先生から
児童図書「ど根性」を読みまして只々感動するばかりです。
まだ幼い十一才のときより真夜中のじゃり持ち土方仕事にでて、両親を思い、家庭を思い、また、自分に打ち勝つ精神力、たくましさ、その精神の粘り強さには驚嘆するばかりです。
作者が、主人公の人柄を克明に掘り起こしたこの著作は素晴らしく、その執筆に感銘致しました。


○教育関係者から
「ど根性」なる作品に接する機会を得て、非常に感激している。
今、わたしは、この一冊の本を読み終えたが、自分自身呆然としてしまって、何だか、自分の頭に占めていた既定の概念というものがすっかり掃き消されてしまったような気がしている。
書評を書くその糸口すら直ぐに出てこない始末。
そして、周りの皆が自分を蔑み、嘲笑しているなかで、自分を認めてくれ、心のなかに一筋の光をさしこんでくれた人……それは、教師、区長、役場職員だった。
これらの方々の一言によって、自らのツッパリの殻を脱ぎ捨てやる気を奮起させた。
ここのところを、この本の作者は、底辺に置き去りにされたこどもたちの心理をものの見事に描き出している。
わたしは、この作品のなかに生き続ける主人公の生き様に、また、彼を取り巻く環境に今更ながら教育の原点を再発見、再認識させられた気がする。


○新聞コラムより
読むにつれて、こまやかな感情表現や、くっきりと人物を浮き彫らせた、練れた文章に引きずり込まれる一方、主人公のひたむきな生き方と、まわりの人たちのやさしさに何回となく胸がつまった。
苦しみを糧として心豊かに懸命に生きることの証を残したいという主人公の熱い思いがにじむ自分史の赤裸々さにも心打たれた。
読み終わって、わけ知り顔でいうことになりそうだが【逆境が人間をつくる】という劇的な実証を感じ取ることができたというのが率直な感想だ。


著者あとがき
 その後の彼の歩みをみると、培われた思考回路は単なる土木のみに限らず、全てに共通する先見の明が自然に備わっていたと見るべきであろう。
実際、このときの修練が彼の人生の礎石となって、その後、土木建設・町議会議員歴任また、熊野本宮大社を含む〝熊野古道〟が世界遺産に登録されると、大社の門前に広大な駐車場を備えた道の駅を建設し訪れる観光客のもてなしに寄与。殆ど期を同じくして、現在の高齢化社会を見据えた特別養護老人ホームを設立。私費を投じて温泉を掘削し県下でも珍しい温泉付き老人ホームをつくり地域貢献に邁進している。
 昭和初期の寒村――村一番の極貧家庭に生まれ、殆ど村八分の扱いを余儀なくされな
がら〝どん底〟を這い回った少年時代。もうこれまでかと肝をくくった瞬間、目前に開いた運命の扉。人生、如何なる境遇に落ち込んでも、『一途に思い描く目標』があれば必ず実現するということを身をもって実証した。

改訂版 平成の大洪水: 未曾有の水害で生まれ故郷を無くした被災者の赤裸々な手記
改訂版 平成の大洪水: 未曾有の水害で生まれ故郷を無くした被災者の赤裸々な手記
山の辺書房自分史編集室
2019-08-30
Kindle本

この本のあらすじ
●多くの災害被災者にぜひお読みいただきたい一冊です。
●紀伊半島南部は過去に伊勢湾台風など数々の台風に襲われ、その度に川の氾濫で
 家屋浸水・水没し大切なものを失った。教訓はあったのだが、この半世紀間殆ど
 災禍に遭うことがなかった。それで油断していた。
●そんな折、平成12号台風が猛烈な勢いで襲ってきた。筆者は過去の経験から、
 多少の浸水はあるだろうが大したことはないだろうと高を括っていた。避難勧告
 を無視し、妻と共に二階に籠城した。市の職員の息子にそのことを伝え、風雨の
 収まるのを待っていた。
●ところが、意に反し大変な事態となった。かつて経験したことのない大洪水とな
 ったのだ。九死に一生を得て救出されたが、家屋は完全水没し。転居する羽目に。
●筆者曰く「この手記を書こうと思ったのは、日ごろの防災に対する心構え・侮る
 ことのない万全の準備がいかに大切かを自身の体験から後世に残すべき」と言う。
●避難とは…・被災者の心理とは…・被災後の人生とは…・生き続ける意義とは…
 などに焦点を当て実録手記として吐露した強烈な自分史である。


★自分史、自費出版される場合の注意点チラシ

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